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朝ドラ「らんまん」の万太郎、本物はさらにすごい人だった~『ボタニカ』

ボタニカ 表紙

ボタニカ
朝井まかて・作
祥伝社

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『ボタニカ』ってどんな小説?


『ボタニカ』は、「日本の植物学の父」として知られている植物分類学者、牧野富太郎(1862-1957年)の生涯を描いた小説です。
植物学の父、と言われても馴染みがない方が多いかもしれませんが、この春(2023年)スタートしたNHKの朝ドラ、「らんまん」の主人公・槙野万太郎(神木隆之介)のモデルになった人物、といえば気になりませんか?
長い歴史がある朝ドラで、主人公が男性という設定は、「エール」の古関裕而(窪田正孝)以来、3年ぶり。
富太郎の生涯は、まさに「真実は小説より奇なり」ならぬ「ドラマより奇なり」です。
自分の好きなことに没頭し、人生をまっとうした牧野富太郎という人物像には、心底、驚かされます。
さらに、彼を支えた人々、むしろ私は彼、彼女たちの生き方に驚きました。

牧野富太郎、その波乱万丈、自由奔放な生涯とそれを支えた人々の物語、『ボタニカ』
494ページの長編、読みはじめたら止まらない、一気読みしたくなる面白さを秘めています。

牧野富太郎の生い立ちをざっくりと紹介

1862年、牧野富太郎は「佐川の岸屋」と呼ばれた商家と酒造業を営む本家の一人息子として、土佐(高知県)佐川村に生まれました。
裕福な家庭に生まれた彼でしたが、父親を3歳、母親を5歳のときに亡くし、祖母に育てられます。
10歳で寺子屋に、11歳で「名教館」(武士の子どものために作られた学校、明治時代は一般の子も通えるようになった)に通います。
その後、学制改革により、小学校に入学、しかし、2年で中退。
よって、学歴は小学校中退ですが、15歳で小学校の授業生(代用教員)になります。
幼い頃から植物に対する興味が深く、国内外の書物を読みあさり独学で学んでいた彼は、19歳のとき上京し顕微鏡や書物を購入、さらに22歳で帝国大学理科大学出入りするように。
27歳で、新種の植物を発見、31歳で帝国大学理科大の助手に就任。
その後、彼の学歴や態度に対し、大学からの圧力といった紆余曲折をへて、49歳でようやく講師にとなり77歳まで帝大に勤めることになりました。
彼が命名した植物は2500種。上といわれ、40万枚という膨大な植物標本を残した彼は、後に日本植物学の父、としてその功績は広く称賛を受けることになったのです。

『ボタニカ』レビュー、なぜそこまでして…

富太郎は、生涯を自分の好きな植物の研究に没頭して生きた人。
植物を探して野山を駆け回り、最新の植物学の本を求めて上京し、ロシアの植物学者に自分を売り込むほど、いわば好き放題、やりたい放題。
祖母の浪子、正妻の猶(ドラマではキャストなし)は、彼の旅費や研究費、研究成果をまとめた書物の出版、印刷代も仕送りしていました。
そのおかげで台所は火の車、そして最後には彼の生家は人手に渡ることに。
浪子や猶の存在なしでは、彼の研究は続けられなかったというのに…

その後、28歳の富太郎は、東京で見染めたスエコという女性と所帯を持ちます。そして生まれた子供は10人、いや13人。そのうち成人したのは7人で、幼子を6人も亡くしています。
金のことには目もくれず研究を続ける彼ですから、収入と支出のアンバランスは目に見えていて、貧乏暮らしは一向に改善の兆しを見せず、夜逃げ同然の引っ越しも1度や2度ではなかったとか。
それでも、猶はその後も富太郎、スエコ、そしてスエコと富太郎の間に生まれた子どもたちまで面倒を見たといいます。

でも、しかし、苦労をしょいこんだのは、猶ばかりではありませんでした。
スエコもまた、自分の稼ぎで富太郎の研究を支えました。
当時は今より多産であったにしても、13人も出産した身体で子どもを育てながら、自分で店を持ち、朝から晩まで働くなんて、命がすり減っていくのが目に見えています。
それでも、彼女は自分の収入で富太郎を支えました。

大学の助手に就いたとて、給料は研究費に消えていきます。
貧乏暇なし。
家の中は植物の標本だらけ。
それでも彼は言います。

なんとかなるろう

そんなもん、なるか! なんとかなんてなるわけないやろ!
と言いたいところです。
でも、幸せなことに彼には彼を愛し心から尽くしてくれる女性がいました。
彼女たちがいたからこそ、植物学の父が生まれたのです。

生家をほったらかして上京し新たな家庭を持ってしまった夫、
長い貧乏暮らしもいとわず
家族の苦労もそっちのけで自分の研究に邁進
地位も名誉も顧みない夫

それでも彼を支えた彼女たちにぜひ会ってお聞きしたい!
なぜ、そこまでして彼を支えたのか?
富太郎はそんなに魅力的な人だったの?
どうか教えてください、と(笑)。

持てる限りのすべてのエネルギーを自分の好きなことに注ぐ生き方は、誰しもができるものではありません。
あんな生き方ができたらいいのに、
うらやむ反面、自分にできないことをやってのけてくれる富太郎を応援したい、
そんな気持ちにさせる魅力が富太郎にはあったのでしょう。
周りの人を巻き込む魅力にあふれた人物像が、見事に描かれています。

だから、ひたすら好きなことに打ち込むことができる人に出会った
そのことが彼女たちにとって、幸せなことだったのかもしれません。

朝井まかて氏が描く植物、女性たちが素晴らしい

幼いころから植物が大好きだったという著者(朝井まかて)。
富太郎の植物への愛情には、著者の植物を愛する心が投影されています。
富太郎が出会う草花たちは、実に生き生きと描かれ、目の前にあるかのように、手に取るように伝わってきます。
花びらの色や繊細な形、葉の裏の模様など、花びらの先端から根の端っこまで緻密な描写。
それが新種か否か、どの植物に分類されるかを見分けるポイントになるわけです。
富太郎の観察力=植物への好奇心、が抜群に優れていた証です。
読後、道端の草を見ると、いつも見ている雑草が生き生きとして見えてきました。

さらに、富太郎を支えた女性たちの生き方に注目。
祖母、猶、スエコ、スエコの母、娘たち。(ドラマとは少し異なります)
土地柄やその時代の考え方だとしても、彼女たちの強さに心打たれました。
どんなにつらい環境に置かれていても、芯がぶれない、折れない、明るく強くたくましい。

対して、ささいなことでうなだれている自分。
彼女たちの生き方は、
こんなことで落ち込んでいる場合じゃないな
と前に踏み出す力を与えてくれます。

まとめ

朝井氏の鋭い観察力と巧みな言葉選び、表現力に圧倒され、彼女の作品を読むたびに、いつもため息がもれてしまいます。
今からほんの100年前、日本中を自分の足で駆け巡り、植物の研究に没頭した一人の男。
学歴がなくとも、貧乏暮らしでも、ひたすら自分の好きな道を歩んだ幸せ者。
彼の才能と人間性を理解し、惚れ込み、わが身を削って支えた人々。
彼らの生きざまには、強く、心を揺さぶられるものがありました。

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