初版が2019年7月、新聞やラジオや雑誌、テレビやネットなどで紹介されているこの本。2019年の10月には早くも5刷、6万部が刷られているから、その人気はいまだ衰え知らず。Amazonでは動物学カテゴリーでベストセラ―1位にランクインしている。(2020年2月25日現在)
『生き物の死にざま』
稲垣栄洋 著
草思社
(内容)
深海に降る雪のようなプランクトンのような小さなものから、ゾウのような大きなものまで、さまざまな動物の誕生から死にゆく姿までが綴られた全29編。
彼らがどのようにして生まれ、どれくらいの時間この世に存在し、どんな最期を迎えるか、その生態が具体的に紹介されている。
「死にざま」が紹介されているのは次のような生き物たち。
セミ、サケ、アカイエカ(蚊)、カゲロウ、カマキリ、アンテキヌス、チョウチンアンコウ、タコ、マンボウ、クラゲ、ウミガメ、イエティクラブ(カニ)、マリンスノー、アリ、シロアリ、兵隊アブラムシ、ワタアブラムシ、ハダカデバネズミ、ミツバチ、ヒキガエル、ジョロウグモ、シマウマとライオン、ニワトリ、ネズミ、イヌ、ニホンオオカミ、ゾウ
最初に書かれているのはセミの死にざま。
「セミは必ず背を地面につけて、仰向けになって死を迎える。」
夏の終わりによく見かける光景だ。
子どもの頃、素手でセミ捕りをしていた私は、仰向けのセミに手を出し、急にそいつがバタバタと暴れ出してびっくり! そんな経験は一度や二度ではない。
仰向けで死を迎えるセミ。
「彼らは生まれてから7年程は地面の下で成長を続け、繁殖するために地上に出て、繁殖行動を終えたら命が尽きるようにプログラムされている。」
なるほど。
そういうふうにプログラムされた生き物なのか。
筆者はそんなセミに対して、
「仰向けになりながら死を待ち、いったい何を思うのだろうか。」
と思いを馳せている。
著者の生き物へのレクイエム。
誕生から死を迎えるまでの行動を知り尽くしているからこそ湧き出る感情だろう。
生き物のは死に向かって生きている、
とい言葉が印象的だった。
それぞれの命の終わり方は違うけれど、彼らがどのように生まれ、どのように生き、子孫を残し、死んでいくのか、その過程を深く知る著者だから書けることば。
そこに読者は共感し涙を誘われる。
「死にざま」=こわいもの見たさの興味をそそられるタイトル
私がこの本を手に取った理由は2つある。
1つは「死にざま」というタイトルにドキッとしたからだ。これが「生きざま」だったら少し印象が変わってくる。それほど「死にざま」ということばにはインパクトがある。
生きている限り「死」を経験することができないから、「死ぬとどうなってしまうんだろう」という不安や恐怖を少なからず持ち合わせている。人も生き物だ。同じ生き物として、他の動物の死にざまには、こわいもの見たさの興味をそそられた。
だから、この本のタイトルにやられてしまったなぁと思う。
冒頭のセミを始め、自分の腹を食われて命を全うするハサミムシの母、己の体を食われながらも子孫を残そうとするカマキリのオス、卵を産む力が衰えると見捨てられ置き去りにされる白アリの女王、ハイエナやハゲタカにエサとしてじっと力尽きるまでつけねらわれるライオン。
ありのままの描写から想像される光景は、胸に迫るものがあった。
生き物への思いはわかる。けれど…カテゴリー分けに疑問
私がこの本を手に取ったもう1つの理由は「生き物」の話が単純に好きで、その生態について詳しく知りたいと思ったから。生き物の死に光を当てて書かれているのは珍しい、と思ったからだ。 Amazonの本のランキング、動物学のカテゴリーで1位になっていた本書に少なからぬ興味を持った。
読んでみた感想は、
うーん、これって動物学なのか?
たとえば、ハサミムシの話。
ハサミムシの母は、自分で産んだ卵をそのはさみを振りかざして敵から守り続ける。そして、卵からかえった幼虫は、最初の栄養源として、母を食らう。幼虫のエサとなって最期をむかえるそうだ。
そのようにプログラムされているのだと書かれている。
そして、著者は母親の気持ちに寄り添っている。
「愛する子どもたちがあろうことか母を食べはじめる(略)子どもたちを慈しむかのようにやわらかい腹を差し出す(略)そんな親の思いをしっているのだろうか…」
これは、泣かせる表現だなぁと思った。
動物学としてカテゴリー分けするなら事実を事実として淡々と書いてほしかったなぁ。
こう書かれることで、読者は著者の感情に引っ張られて、自分も母親の気持ちを思いやってしまう。
ちょっと待って!と思った。
どうしてたくさんの幼虫が共食いすることなく、母親をエサとするのか?
生まれてすぐに栄養が必要で、親を食べるだけの力があるなら、中には少しぐらい母と子を間違えて共食いしてしまうやつはいないのか?
そんな疑問を持った読者の気持ちは消化不良に陥った。
加えて言わせていただくと、犬の殺処分や養鶏についての記述について。
書かれている現実は真実だけれど、それを動物学のカテゴリーで扱うことにはやはり疑問が残った。
著者は、システムとしての「死」を語りながら、同時に死を不条理としてとらえた記述も
ある。
これは、生き物の死を深く知る著者のエッセイ集だと解釈した。
私にとっては、ありのままの姿だけを突きつけられたほうが、より深く胸に刻まれたと思った。
『生き物の死にざま』から何を受け取ったか
私は3人の子どもを出産した。また、身近な大切な人を亡くしてもいる。
人生経験や周囲の環境、性別などいろいろな違いがあるように、生き物の誕生や死への受け止め方もさまざまなはず。
だからこそ、読者それぞれに自分の感情で「死にざま」を受け止めさせて欲しかったと思う。
読み物として面白かった。
生き物の生態の知識は深まった。
ただ、どうしても「お涙ちょうだい」っぽさを感じてしまう表現が残念だった。
ところで、セミの亡骸の話を読んだとき、私はある絵本を思い浮かべた。
それは谷川俊太郎氏の『生きる』という詩に絵をつけたものだ。
その絵本の最初のページには、公園の地べたに仰向けになって死んだセミが描かれている。そばには、その死骸の一部をくわえて巣へと運ぶアリの姿と、それを見下ろす男の子がいる。そして詩がはじまる。
生きているということ
いま生きているということ(谷川俊太郎「生きる」より)
生と死はつながっている。大切なのは今をしっかりと生きること
この本は詩と絵でそう教えてくれた。
29編の生き物の死にざまから私が得たものも同じだった。
たとえプログラムされた時間であっても
与えられた命あるときをしっかりと生き抜くことの大切さ
これに尽きた。
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