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【絵本】『はじまりは、まっしろな紙』~世界中で愛されるギョウ・フジカワ、彼女が描く素晴らしい世界

1960年代のはじめに、アメリカで活躍した日系人女性の絵本作家ギョウ・フジカワ。

彼女が描く子どもたちや動物たちは、思わず顔がほころんでしまう愛らしさがあります。
ギョウ・フジカワという名前は知らなくても、作品を見ればきっとご存知の方も多いはずです。

幼い頃から絵をかくのが好きで好きで、大好きだったギョウ。

日系2世の彼女は、人種差別や戦争といった困難な時代を乗り越え、やがて絵を職業として活躍することになります。
あるとき、彼女は絵本の中にそれまでアメリカ国内ではタブーとされていた世界を描きました。
もちろん、出版社はそんな絵本を世に出すことはできない、と拒否しました。
しかし、彼女の粘り強い説得でその本が出版されることになったのです。
彼女がタブーを冒してでも描きたかった世界とはいったいどんな世界だったと思いますか?
彼女はどんな絵を描いたと思いますか?

いま、私たちがその絵を見たら、この絵のどこが?何が、タブーなの?って思うほど、現在では受け入れられていることです。

出版を拒否され、タブーを冒しても世に送り出したかった彼女の作品は、その後、たくさんの人に読まれるようになりました。
それらは、今も世界中で愛されている絵本となっています。

今回は、そんな偉業を成し遂げた絵本作家、ギョウ・フジカワの生涯を描いた絵本『はじまりはまっしろな紙』を紹介します。

はじまりは、まっしろな紙
日系アメリカ人絵本作家 ギョウ・フジカワがえがいた願い
文/キョウ・マクレア
絵/ジュリー・モースタッド
訳/八木恭子
フレーベル館

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日系アメリカ人絵本作家 ギョウ・フジカワの願い とは?

ギョウ・フジカワは1908年、11月3日にアメリカカリフォルニア州バークレーに生まれました。
両親は日本からアメリカに移り住んだ日系アメリカ人の1世。母は詩人、父は農場労働者でした。
ギョウには2つ下に弟が1人います。

ギョウは絵が大好きな女の子

物語のはじまりは1913年のアメリカ。
ギョウの周囲には、彼女の両親と同じように日本からやってきた人たちがいました。
彼らはみな、大きな夢を描いて何日も船に乗り、はるばるアメリカまで渡ってきた人。
彼らが夢に描いたアメリカの生活と実際の毎日は大きく違っていて、みんな集まると日本人への不公平な扱いに愚痴がもれることもありました。
ギョウは5才でお絵かきが大好きな女の子でした。
大人の話に耳を傾けながらも、毎日、まっ白な紙に大好きな絵をいっぱい描いていました。

アメリカ社会との壁

ギョウが学校に行きはじめると、彼女のことも彼女の絵もアメリカ人からは見向きもされない現実に直面します。それは高校生になっても変わりませんでした。
そんなある日、二人の先生がギョウの絵を見つけます。
ギョウが絵の中の線のひとつひとつにまでこめた思い、力強さに気づいたのです。

すばらしい観察力をもった、この生徒はだれ?
川やボートや鳥の絵をこんなにみごとにえがける、この子はだれ?

(はじまりは、まっしろな紙より)


ギョウは先生たちの後押しで、大学が特別にお金を出してくれる制度を利用して、大学に変えよえることになりました。
1929年、ギョウはロサンゼルスの大学に通いはじめます。その頃は大学に進む女の子も少なく、日本人となるともっと少なかった時代です。そんな不安を乗り越えて大学で絵の勉強をする決心をしたギョウ。彼女は彫像や花や人をスケッチし、彼女のスケッチブックは次々と絵でいっぱいになりました。

彼女は絵の勉強をしに日本にやってきて、浮世絵に夢中になりました。
日本の旅を終えアメリカに戻ると、今まで学んだことを生かして仕事をはじめます。
壁画を描いたり、雑誌のイラストの仕事を何年も続けます。

1947年にはニューヨークのウォルト・ディズニー・スタジオで本のデザインを任されることになりました。

戦争の影

ところがアメリカと日本は戦争によってギョウの家族は日本人強制収容所に送られます。東海岸にいたギョウは離れて暮らす家族のことを思い心を痛めていました。そして、頭の中はまっしろになり、絵が何も浮かんでこなくなってしまったのです。

信念をつらいた絵

しかし家族にお金を送るため、やっとの思いで絵を描き始めると、絵を描くことで心が慰められるのを感じました。カラフルな絵は彼女の心を明るくしてくれたのです。

やがて、戦争が終わり家族も収容所から出ることを許されました。
その後の行は、切手の図案を考えたり、本の挿絵をかいたり、ショーウィンドウの飾りつけをすることもありました。
時の流れとともに、ギョウは周りの様子が少しずつ変わり始めていることに気づきます。
それは、人種についての意識でした。とはいえ、絵本に出てくるのは白人だけ。お父さんもお母さんも、こどもたちもみんな白人だったのです。

ギョウは、そんな絵本の世界に新しい仲間を描いていきました。
ましろな紙を広げ、毎日描き続けのは赤ちゃんです。

ふっくらほっぺに、ぷくぷくあんよ、
ぼーるのようなまあるいおしり、
やんちゃでかわいい赤ちゃんたちが
ハイハイやよちよちあるきで動きまわっています。

はじまりは、まっしろな紙より

ギョウはそこに黒人の赤ちゃんと白人の赤ちゃんをいっしょに描いたのです。
肌の色で人を区別する法律があった当時のアメリカですから、出版社には絵本にすることを拒まれました。でも、それではだめだと言い続けたギョウ。そしてついに出版された絵本はたくさんの人に受け入れられ、子どもたちはギョウの絵本が大好きになりました。

『Babies』(1963年)はギョウが初めて文章と絵の両方を手掛けた作品で、さまざまな人種の子どもたちをいっしょに登場させた絵本。姉妹作の『Baby Animals』とともにまたたく間にベストセラーとなった。

はじまりは、まっしろな紙 ギョウ・フジカワの一生より

『はじまりは、まっしろな紙』の感想

この絵本の作者、キョウ・マクレアとジュリー・モースタッドもギョウの絵本が大好きだといいます。
でも、彼女がどんな人なのか何も知らなかったので、彼女のルーツをたどりこの絵本ができました。

実は、私もこの本に出会うまでは、彼女のことを知りませんでした。
でも、このぷくぷくしてまんまる、今にも動き出しそうなかわいい赤ちゃんの絵を見た時、
どこかで見覚えがある、初めて見た絵ではないぞ、
って思いました。
きっと幼い頃に見たことがあるのだと思います。
彼女の描く子どもたちの愛らしさは、ただかわいいだけじゃないのです。
ひと目見たら心の底からかわいい、と思える、絵の中の子どもに愛情があふれてくる、そんな印象を受けます。
それはきっと人種差別や戦争を乗り越えた彼女が描いたからこそ、なのでしょう。
子どもたちの表情は喜びに満ち満ちているし、わんわんと大泣きしていてもいいんだよ、という優しい目を感じます。
世界中の人たちに明るい世界を届けたいと願ったギョウ・フジカワ。
彼女の人生を知ることで絵本の素晴らしさをさらに大きく感じることができました。

ギョウフジカワの作品リスト(抜粋)
A child’s Garden of Verse (1957):『うたのはなぞの』 (ロバート・ルイス・スティーヴンソン作 沢崎順之助訳/集英社 1978)(2020年現在書店には流通していません)
Babies (1963) 未邦訳
Baby Animals (1963) 未邦訳
A Child’s Book of Poems (1969) 『うたがいっぱいたのしいな』(沢崎順之助訳/集英社 1978)(2020年現在書店には流通していません)
A to Z Picture Book(1974) 『えいごであそぼう』(石原明監修/集英社 1978)(2020年現在書店には流通していません)
Sleepy Time (1975) 『おやすみなさい』(間所ひさこ訳/チャイルド本社 1975)(2020年現在書店には流通していません)
Oh,What a Busy Day!(1976)『あそびましょ』(和久洋三訳/集英社 1978)(2020年現在書店には流通していません)『こどものじかん はる なつ あき ふゆ』 二宮由紀子訳 岩崎書店 2014
Come Follow Me(1979)未邦訳
Are You My Friend Today? (1988) 未邦訳
Ten Little Babies (1989) 未邦訳

はじまりは、まっしろな紙より

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